日本東洋医学会会員
パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会会員
鍼灸師 ・ カイロプラクター
畦 上 (あぜがみ) 和 彦
・人間総合科学大学鍼灸医療専門学校 (旧早稲田鍼灸専門学校)昭和63年卒業
はり師/きゅう師 免許取得
・ユニバーサル・カイロプラクティックカレッジ平成2年卒業
・平成2年 アゼガミ治療室を 浦和(現在地)にて開業
・2000年6月 日本東洋医学会に学会発表 >>詳しくは 学会発表内容へ
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17歳で突然「くも膜下出血」に !
美大受験準備中の17歳のとき(高校2年の暮れ)クモ膜下出血になりましたが、幸い一命はとりとめました。小学生の頃より病弱な母を見て自分はそう在りたくないと思い、トレーニングを積んできた上の出来事であったため、茫然自失の感でした。
医師には「君はもう良くなったよ」と告げられましたが、後遺症と思われる様々な体の不調にみまわれ、将来を思い悩んでいました。
健康を取りもどすために、自然食から有機農業へ
高校卒業後、不調の改善を目指しヨガ道場に滞在しました。そこで出会った自然食に興味を持ち、マクロバイオティック(東洋哲学をベースとした玄米菜食)の研究所の研修生となりました。
その後、安全な食物を消費するだけではなく生産すべきと考え、主に関西の自給自足を目指した共同体を幾つか援農を兼ねて研修の後、自ら京都の山間部において土地を借りて無農薬・無化学肥料の農業を行いました。その間、整体に出会い自らの不調の改善のきっかけを得ました。
有機農業により近隣の農家の人に賞賛されるほどの作物を収穫しましたが、技術の未熟さから農業三年目にウィルス性の病害が発生、借地農業の難しさもあり農業を断念することとなりました。
本格的に代替医療の道へ 〜2年半の臨床試験を経て学会発表へ
山を下りた後、かねてから副業にしていた東洋医学・はり(鍼灸)およびカイロプラクティックの道に本格的に入りました。10代から代替医療に携わり、カイロプラクターとしては35年余り、浦和で開業してからは30年のキャリアを持ちます。
自らの体の不調からの回復の経験を活かして経験をつむ中で、東洋医学のツボ・経絡を利用した構造改善の手法と、ソフトなカイロプラクティック(およびオステオパシー)の手法を調和させた独自の施術方法を開発。また経絡が人体の2足起立を保持コントロールする構造力学に基づいた流れであることを切に実感し、経絡の偏りを修正することが人体の構造を安定させることであるとの仮説に至りました。
2000年6月、医師の協力を得て、2年半の臨床試験を行い日本東洋医学会にこの仮説を発表。その症例における仮説の有意性を示すことができました。
心がけていること
自らの闘病体験もあり、症状を構造(姿勢)面からわかりやすく論理的に説明し、納得して施術を受けてもらうことを心がけています。また、施術その他の活動を通して東洋医学への正しい理解を広めるべく啓蒙努力することを使命と考えています。
自らバランス系のスポーツ カヤック(東京国体リハーサル大会出場)、乗馬(馬場馬術1級ライセンス取得)、合気道などに取り組むことで自己研鑽し、施術技術の向上に努めています。
また東洋医学は、森羅万象 自然生態系の中でのバランス・健康を良しとする故、日本野鳥の会、鳥類保護連盟、埼玉県生態系保護協会、埼玉自然トラスト協会等に所属。
コンディショニング・リフレッシュ
現在は朝晩の散歩。散歩はハードな施術をこなすためのコンディショニングとして不可欠です。また、季節の移り変わりを定点観測し楽しんでいます。
ケンタの写真
ケンタは近所の常盤公園で出会った野良猫です。
鳥みて、歩く
野鳥の写真を撮っています。ときどき四つ足や虫、花なども。
彩の国「荒川を歩く」
2002年は、山遊塾 With You主催の東京湾から荒川源流までを歩くウォーキングに参加しました。1回に約25km、大体月1回のペースで全9回。自分の住む街、さいたまをあらためて知ることができます。
別所沼公園の風景
さいたま市別所にある公園。沼の周りに散歩・ジョギングコース、広場などがあり散歩には最適です。季節の移り変わりがとても美しい。よく散歩にいきます。
散歩の写真アルバム
お散歩コース等で撮った写真のアルバムです。
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